〈更新日:2022年10月15日〉
こんにちは、うつ病経験のある看護師のぷろぽです!
私は看護師1年目に「うつ病」と診断されました。
私がうつ病になった原因は一言でいうと「職場の人間関係」。
結果、うつ病と診断されたにもかかわらず、自己中断して3年間働き続け限界に到達し、半年以上の休職を経験しました。(看護師なのにコンプライアンス悪いよね…)
そこまでして、私は看護師を続けたかった…
休職期間を経て、今思えば「看護師を3年間続けるまで一人前になれない」教えにとらわれ、正しい判断ができなくなっていたと感じます。
この記事では、私がうつ病~休職するまでの人生で一番辛かった3年間のうち看護師1年目をブログに書いてみました!
さらに、「私のようにはならないでほしい」という思いから、私と同じように悩める看護師さんをブログで応援するようになった経緯などについても書いてみたいと思います。
- 「職場に行きたくない」と毎日泣いている看護師さん
- 周囲に相談できず悩んでいる看護師さん
- うつ病かもしれない看護師さん
- 休職している看護師さん
この記事を読めば、今私と同じように悩んでいるあなたが苦しく辛い毎日から抜け出せるヒントが見つかりますよ!
1~3年目までの3部構成による体験談があるので読むのに時間がかかるかもしれません!ごめんね!
「ぷろぽ」ってどんな人?
自己紹介
はじめまして。「ぷろぽ」と言います!
私のプロフィールはこちら!
- 25歳
- 現在、看護師4年目
- 新卒で大学病院のICUに入職し3年間働く
- 半年以上の休職を経験する
- 現在は、「看護師を支えるブログ」を運営
私の性格
- HSP気質
- ネガティブ
- 完璧主義
- 頑張り屋
- 頼まれると断れない
今思えば…性格上、うつ病になりやすい傾向にありました。
看護師を目指したきっかけ
将来くいっぱぐれなく生きていけるから、看護師になりなさい!
将来の夢なんてないし、とりあえず看護師目指すか!
このように、安易な気持ちで看護学部の大学に入学しました。
実習を経験しても看護が好きな訳ではありませんでしたが…
どうせ働くなら、認定看護師や専門看護師などの資格取得を目指し、看護師としてバリバリ活躍するぞ!
と夢が叶えられそうな超急性期で有名な地方の大学病院に就職しました!
大学卒業後は地元を離れ、知り合いもいない土地での一人暮らしの生活が始まりました。
集中治療室(ICU)に配属決定!
私は希望通り「集中治療室(ICU)」に配属されました。同期は8人!
ICUには意識のない患者さん、異常な点滴の数、多数の医療器械に囲まれており、その異様な雰囲気に緊張の日々…
ICUは患者さんの重症度が高く、急変しやすい現場であるため、このように熱心な教育体制を設けていました。
- 新人は1年間は先輩看護師と一緒に行動し患者さんを看る
- 独り立ちするまで毎日行動計画、疾患や観察項目の勉強を発表する
- 月1回必ず学習ノートを提出する
- 休日関係なく院内外の勉強会への参加は必須
その結果、入職時から勉強漬けの日々が始まりました。
わたしの勉強ルーティン
- 休日は図書館にこもって勉強する
- 帰宅後は毎日3時に起きて出勤するまで勉強する(約3時間ほど)
私は看護学生時代から要領をよくこなせるタイプではなかったので、必死に頑張りました。
初っ端からすでにヘトヘトでしたが…何年後の資格取得に向けて頑張るぞと意気込んでいました。
ストレスが溜まる環境下ではありましたが、幸いにも同期とは仲良くなり、仕事終わりにはご飯に行ってストレス発散していました!
人生最悪な3年間の幕開け
院内最強のいじめ病棟の実態
入職した1か月は必死さや社会人になれた嬉しさから、人生最悪な3年間の幕開けに気づきもしませんでした。
後々分かったことですが、私の配属された病棟は「院内最強のいじめ病棟」という名で知れ渡るような場所でした。
その背景に、他の病棟で扱いきれない「お局気質さん」たちが集まっており、若手の看護師をイジメる離職率の高い病棟だったんです…
その本当の姿は新人看護師が主体で患者さんを看るようになってから、実態がわかってきたのでした。
患者さんを主体的に看るようになり、自分の知識や技術の未熟さから指導されることが増えてきました。
先輩の指導方法
- 高圧的な態度で指導
- 理不尽なことで注意される
- 聞こえる声で言われる悪口
- 目の前でため息をつかれる
- 話しかけると無視、嫌な雰囲気を出される
- 失敗をするとナースステーションで怒鳴る
お局気質な看護師が9割を占める病棟でした。
当時は、できない私が悪いんだ…と先輩の指導態度に疑問を持ちませんでした。
この時から氷山の一角が見え始めたのでした。
トラウマ級の名言集
冷静に考えれるようになった今言えることは、先輩方の指導方法は完全に「いじめ」でした。
いまだにふと思い出しては動悸がするほど。まさに「トラウマ」ですよね…
無視は当然でしたが、そんな先輩方から受けたトラウマ級の名言集を少しだけ紹介したいと思います。
邪魔! あんたみたいなんと仕事してると、私も仕事できなくなりそう。
もういい!どんくさいから、私の視界に入ってこないで。ダンゴムシが!
(ニヤニヤしながら)いつ仕事辞めるの?
昼食中なんて、私の存在を知っていながら悪口を言われながらご飯を食べることもありましたし、見た目をいじられることもありました。
光の速さで回る私の悪口。先輩の想像力が生んだウソの噂話。こちらをみながらヒソヒソ言われる陰口。
私が心を休める空間と言えば、トイレor汚染廃棄室でした。
グループ名は「仕事ができない」
同期が8人もいたため、指導しやすいように先輩が「仕事ができるグループorできないグループ」の2つに分けました。
私は「仕事ができないグループ」に分けられました。
「仕事ができるグループ」は新しい疾患の患者さんの受け持ちを行ったり、採血の練習をさせてもらったり、中にはプライベートでご飯に行く同期もいました。
一方で、「仕事ができないグループ」は新しいことに挑戦はさせてもらえない上に、仕事のできるグループと比較され、先輩に強く当たられるいじめの標的になっていました。
「いじめの標的になりたくない」が故に同期同士で蹴落としあいが生まれ、同期全体の雰囲気は最悪でした。
「先輩からご飯に誘われたんだ」
「今日は先輩に褒められたんだ」
悪気があるかはわかりませんが…
自慢されているように感じ、同期と距離をおくようになりました。
頑張ってるのにどうして評価されないの…?
そして、同期よりも何倍も努力していると過信していた私は自信がなくなってしまいました…
今思えば、同期も自分がいじめの標的にならないように必死だったんだと思います。
Twitterで愚痴垢を開設
この頃から体調に異変が出てきました。
- 体が鉛のように重い
- 家事ができなくなる
- ごはんが食べれない
- 友達や同期の誘いを断る
- 出勤前は涙がとまらない
- すべて自分が悪いと感じる
- ずっと気持ちが落ち込んでいる
- 休日はベッド上で寝たきりぼーっとしている
正直、生活することさえギリギリの状態でしたが、勉強ルーティンは毎日こなしていました。
職場では、症状により無気力な私を“やる気がない”と思われ、ますます先輩の指導が厳しくなりました。
あんたがちゃんとやってないと私の評価が下がるのよ!
とみかねたプリセプターからもきつい指導を受け、さらに追い込まれました。
プリセプターは当時3年目にしてお局気質、私のことなんて興味がありませんでした。
プリセプターとの思い出
- 入職当日「私、新人看護師とか嫌いだから」と言われる
- 私がインシデントをしてしまった日に「ふざけんな!」と更衣室で蹴られる
- プリセプターの役割を果たしていないにもかかわらず、師長の前では仕事をしているように演じる
プリセプターや同期も含めて誰も見方はいませんでした。
知り合いのいない土地では誰にも相談できず、心配をかけたくなかったため親にも言えませんでした。
「看護師 辞めたい」とGoogleで検索する毎日。
そこで、私と同じ境遇の新人看護師のTwitterを発見しました!
Twitterで看護師1年目愚痴垢を開設し、私の毎日投稿が始まりました。
当時は、「私だけじゃなくてみんな悩みながら頑張ってるんだ」とTwitterで励まされていました。本当に唯一の私の支えでした。
同期が半分休職する大事件
入職して半年が経過しました。
この時点で同期がうつ病で半分休職してしまいました。
同期が休職してしまうほどの大事件ですが、先輩達の態度は変わることなく、師長も言及することはありませんでした。
今年の1年生は○○さんが一番早かったね。
ハズれた~次は誰が辞めていくかな?
その理由は、毎年新人看護師が辞めていくからでした。
私の症状は改善することなく、むしろ重くなる一方でした。
- 5キロ以上痩せる
- 先輩を目にすると手足の震え
- 先輩の前で胸のドキドキ
- なぜか涙が出る
- 死にたいと思う
あれ? なんかヤバくない?
私は初めて「うつ病」を疑いました。
急いで近医の心療クリニックに予約の電話をかけました。
初診の受け入れを行う心療クリニックは少なく、2か月後にようやく予約がとれました。
初めての心療クリニック受診
心療クリニックの受診日までとにかく休まず出勤しました。
~初受診日~
それ、うつ病ですね。
休職した方がいいけど、どうする?
いいえ、休職しません!大丈夫です!
私が休職を断った理由
- うつ病であることを周りに知られたくない
- 高い学費を払って看護師にさせてくれた両親に申し訳ない
- 奨学金の返済ができていない
- ここで休んでしまうと復帰できなくなるかも…
- 新人看護師を乗り越えたら、今の状況とは変わるかもしれない
- 同期ともっと差が開いてしまう
私は医師からの提案を拒否し、通院も自己中断し、誰にも相談せずに看護師として働くことを決めてしまいました。
今思えば、うつ病で正しい判断ができなくなっていました。
しかし、辛い状況を打破する改善案がありました!
『辛いのは1年目看護師だけ』=我慢!
いじめをみかねてた先輩から言われた謎に安心感のある言葉。
すでに1年目の冬を迎えていた私はクマと同じように冬を乗り切ることに決めたのでした。
この1年を乗り越えればきっと大丈夫…
まとめ
いかがでしたか?
私は看護師1年目でうつ病になりました。
「辛いのは1年目看護師だけ」という先輩の言葉を信じて、夢のために看護師を続けることを決めました。
しかし、人生最悪の日々は2年目も続きました…
続きをみたい方はこちらの記事をご覧ください!
\続編:うつ病看護師の2年目体験談/
\完結:うつ病看護師の3年目体験談/
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